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町内会の区域

 豊岡13条~15条で4丁目、5丁目(12条の一部を含み、市営愛宕団地は除きます)

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わがまちの由来

1892年(明治25年)屯田兵東旭川兵村に入植
1903年( 〃 36年)愛宕神社建立
1904年( 〃 37年)屯田兵制度廃止
1934年(昭和9年)東旭川村西三区東部実行組合設立、15戸で発足
1942年( 〃 17年)愛宕部落会発足
1945年( 〃 20年)太平洋戦争終わる。
1946年( 〃 21年)民選初の村長に玉井健吉氏。
1950年( 〃 25年)愛宕第二農事組合発足、初代組合長高畑孫作氏(19戸)
           宕地区には第一から第四まで4つの農事組が、第一と第
           二の一部で新しく愛宕共生農事組合が発足、5農事組合
           となる。  
1963年(昭和38年)8月15日、旭川市への合併により、愛宕第二町内会と
           改める。(15世帯)
1965年( 〃 40年)農業地帯だったこの地域の「ベットタウ        
           ン」化により人口が増加し、他町内会では、町内会の分割
           が進む中、当町内会は発足当初より分割せず現在に至る。
           (22世帯)  
1970年(昭和45年)3月現在       104世帯
1975年( 〃 50年)  〃         210世帯
1980年( 〃 55年)  〃         287世帯
1990年(平成 2年)  〃         412世帯
2000年( 〃 12年)  〃         438世帯
2005年( 〃 17年)  〃         415世帯
2010年( 〃 22年)  〃         363世帯
2011年( 〃 23年)  〃         361世帯
2012年( 〃 24年)  〃         359世帯
   〃   10月20日 「設立50周年記念」  
2013年( 〃 25年)3月現在       358世帯
2014年( 〃 26年) 〃         360世帯
2015年( 〃 27年) 〃         361世帯
2016年( 〃 28年) 〃         361世帯
2017年( 〃 29年) 〃         361世帯
2018年( 〃 30年) 〃         350世帯
2019年( 〃 31年) 〃         341世帯
2019年( 令和 元年) 5月            世帯

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地名の由来

 開基以来、東旭川地域の字(あざ)名は多岐に分かれ、土地台
帳の地番の統一性もなく雑然とし、通信上などで村民は大変不便
な思いをしておりました。
 こうしたことから、1934年(昭和9年)から村議会で研究
検討し、1936年(昭和11年)7月15日に字名を『愛宕』
と決定しました。
 なぜ、『愛宕』になったのかは定かではありませんが、この地
に愛宕神社が祭られており、この地域の村民が愛宕神社の氏子で
あったことに由来するものと思われます。

愛宕神社について
 御祭神は、可遇都知神(かぐつちのかみ)で1903年(明治
36年)鎮座(本殿1坪、拝殿9坪、鳥居1基)
 例祭は毎年9月3日、臨時祭は8月15日

 <起源>
 この地は、屯田兵が練兵のかたわら傾斜地を利用し、射台をつ
くり射撃場にしました。屯田兵制度が廃止された後、この地を記
念し、永久に保存したいとの考えから、東信吾の父、白川磯次の
父、村上種次、太田仁平、鈴木正五郎ほか有志が協議の上、東京
愛宕神社の御分霊を受け、この地の高燥の地を選び社祠を建立し
ました。

 <移転>
 1972年(昭和47年)より施工された豊岡第三土地区画事
業にともない、この神社が環状一号線道路の予定地に当たるため
旭川神社の境内に移設されることになりました。
画像の説明 
(写真は、旭川神社境内に移設された愛宕神社)
 旭川神社の境内には、市内8条22丁目付近にあった若宮八幡
神社と合祀され、八幡愛宕神社となりました。
 1985年(平成7年)旭川神社の創祀100年事業の一つと
して本殿が造営されました。
 例祭は、今も、氏子により、毎年9月3日に行われています。

 現在、環状一号線東側(豐岡15条7丁目1)の愛宕神社跡地には
記念碑が建立されています。 
画像の説明
(写真は、愛宕神社跡地に建つ記念碑)
資料提供:矢木照夫様(平成19~20年度町内会長)

 碑には、次のように刻まれています。
    (碑文は縦書きです)

   愛宕神社跡記念碑
   御 大 典 記 念
          地名発祥 愛宕神社跡
屯田第三中隊はこの牛朱別川河畔の断層を利
用し射的場とせしが、屯田制度廃止後これを
記念し、又入地以来東小学校々舎兵屋数戸の
全焼に鑑み、明治三十六年有志相図り、火伏
せの東京愛宕神社のご分霊を奉戴し、社殿を
営む。昭和五十三年環状道路敷設の時、同社
地が之に当ため神霊を旭川神社境内内若宮八
幡宮に合祀し、この代地に平成の御大典を記
念し碑を建て沿革を後世に伝う。平成二年秋

    ◇ 愛宕神社一口メモ ◇ 

・東京愛宕神社のホームページより引用しました。

 東京の愛宕神社は、1603年(慶長8年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られました。
 主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)

 <日本各地の愛宕神社との関係>
 愛宕神社は、徳川家康が建立した経緯や、また周囲に武家屋敷が多かったことから、特に武士の信仰が篤かったのです。
そして、江戸に出てきた地方諸藩の武士達は幕府に忠誠を誓う意味もあり、参勤交代の折りに、江戸の愛宕の神様のご分霊を地元に持ち帰りました。そして、地元の小高い丘に「愛宕神社」をお祀りしていました。
各地に愛宕神社が多いのは、そのためです。